Chronology

1975年新潟県五泉市 生まれ
1991年高校入試に失敗、滑り止め校に進学。人生初の挫折を味わう。
1993年恩師の勧めでピアノを始める。これがきっかけとなり理系から音大に進路変更する。
1994年洗足学園短期大学音楽科に入学。
1997年留年の後、洗足学園大学音楽学部3年次に編入。1年遅れの3年生になる。
1999年洗足学園大学音楽学部卒業、同大学音楽専攻科に進学。
2002年ディズニー・プリンセス・アカデミー 
初代“ 歌のお兄さん ”抜擢される。
2004年東京二期会 ドン・ジョバンニ
(宮本亜門演出)出演
新国立劇場 オペラ“神々の黄昏” 出演
2005年愛・地球博 トヨタパビリオンMCを務める。プレッシャーと過密スケジュールで声を失いかける。
同年心療内科の薬事療法ではなく、行動療法によって声を取り戻し、芸能分野にも活躍の場を広げる。
2006年独立しボーカルレッスンを始める
2007年映画“うた魂” 草狩民雄役
2008年週刊TokuTokuマガジン/レポーター、演歌なひととき/MC 一気にレギュラー番組を2本獲得。
2012年原宿・北参道にスタジオを開設。
2015年ビジネスセミナーや交流会でビジネスを学び始める。
2016年東京中小企業家同友会に入会。本格的に経営を学び始める。文化堂創業者後藤会長に出会う。
iWAMマスターのライセンスを取得。
2019年(株)サイゼリア創業者正垣会長・(株)昭栄美術創業者小林会長に出会い、チェーンストア理論を学び始める。
2022年株式会社エンタBizを設立。

Biography

エピソード1タイトル

「音大に進学してはどうか」の恩師の一言で理学部志望から方向転換。
経験ゼロの状態から、ピアノを11ヶ月、歌唱を4ヶ月猛特訓。音大を受験し現役合格する。
しかし幼少期から音大進学を目指し学んできた同級生との力の差が大きく苦戦。
成績も振るわず留年も経験したが、それを機に学び方(レッスン、トレーニング)について深く考え、アカデミックな思考より、プロとして活躍することを追求するようになる。190文字

エピソード2タイトル

音大卒業後、プロ歌手の下で半付き人生活を送り基礎を構築し直す。

声帯に関する知識、声の出る原理をロジックで理解したことで、意識的に表現の幅を広げられるようになる。

そして2年半後、 ディズニープリンセスアカデミー“初代歌のおにいさん”に抜擢され、本格的なプロキャリアをスタート。

その後も、ミュージカルやオペラ、愛・地球博トヨタパビリオンなどへの出演を重ねプロとしてのキャリアを積む。189文字

エピソード3タイトル

順調にキャリアを重ね3年、絶対に失敗できないというプレッシャーとハードなスケジュールにより、ストレス性発声障害を発症、声を失いかける。

薬事療法ではなく行動療法によって声を取り戻したことをきっかけに、脳や心に対する言葉の影響力を知る。
脳科学や心理学、NLPについて学ぶことで、歌に対する考え方が変わり「ただ歌う」から「メロディに乗せて話す」という意識になる。
この頃から表現の幅が広がり、それに伴い活躍の場も広がっていく。
また、ここでの学びが今の4D VOICE® METHODの基となる。243文字

エピソード4タイトル

自身がプロとして活躍する中で「アカデミックで教わることと、現場で求められることは違う」と実感。

方向性の正しい努力をすれば、圧倒的な才能がなくとも声のプロを目指せることを自らの経験をもって体感したことで、20歳の頃の自分と同じ境遇にある後進の指導をすることを決意。

芸能プロダクションの養成所から講師としてのキャリアをスタートさせたが、養成所の決められた講座内容が本当に効果のある指導法であるのか疑問を抱くようになる。

そこで、プロの現場での経験をレッスンにフィードバックし“活きた方法論”としてメソッド化。
4D VOICE® METHODとして確立。270文字

Media appearance

TV

近未来×予測テレビ ジキル&ハイド/ナレーター(テレビ朝日系)
大正製薬リアップCM

映画

うた魂/草狩民雄役(日活)
ドラえもん “のび太の南極カチコチ大冒険”/サウンドトラック(東宝)

バックシンガー

(順不同・敬称略)

北島三郎   五木ひろし  サラ・ブライトマン  福山雅治
タレント名本名または芸名
本名掲載もしくは非公開
事業形態フリーランス
活動期間2001年5月〜
活動内容俳優、声優、ナレーター、MC
本拠地プライバシー保護の為、株式会社 エンタBizに管理を委託
保有資格、免許等普通免許、大型自動二輪、中学校教諭専修免許、高等学校教諭専修免許、iWAMマスター