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Vol. 2 永遠世界の影は変わることのなかに
私たちの世界は、めまぐるしく変化しています。
しかし、変わることのなかにも変わることのない法則性があるとすれば、そこに永遠があるといっては言いすぎでしょうか。
ビリヤード(玉突き)の球の軌跡を考えてみます。
テーブルの側面に対して角度θで打ち出された球は、別の側面に衝突すると、そのときの入射角と同じ反射角を作る方向に進路を変えて進みます。そのときのtanθ(直角三角形の底辺に対する高さの比)が有理数の場合は、何度かの衝突を繰り返した後、必ずの出発点に戻ります。
たとえば、θが45°(tan45°=1)などの場合です。
これは、いつかは元に戻るという意味で回帰的永遠だともいえます。
しかし、角度が60°の場合はtan θは、√3(=1.7320508...)、つまり無理数となり、その場合、球は二度と同じ場所を通ることはなく、テーブルのすべての領域を埋め尽くすように動きますが、すべてを埋め尽くすことは永遠にできません。
無理数のなかには永遠が潜んでいるようです。
さらに、完全な円は、円周率πという無理数を含むゆえに永遠の完全性の象徴になりうるのかもしれません。
ところで、自然界には、部分のなかに全体が反映され、全体のなかにも部分が反映されているという自己相似性、「フラクタル」と呼ばれている性質が内在しています。
たとえば、樹木の形の基本は、大きい枝から小さい枝、さらに葉脈に至るまで、すべてY字形の分岐の連鎖でできています。
私たちの肺のなかの血管も同じです。
月面を望遠鏡で見るとき、倍率を変えても、大きいクレーターから小さいクレーターまでの分布の様子は同じように見えます。
空間のなかにみられるフラクタル性です。
さらに、時間に関していえば、静かにリラックスしているときの私たちの心拍は、速くなったり遅くなったり揺らいでいますが、その変動のパターンは、時間の長さには関係なく、例えば3分間のなかにも1時間の変動と同じパターンが含まれています。
これらの事実から、時間の流れの中にもフラクタル性があると考えれば、移ろいゆく有限の時間のなかに永遠が投影されているような気がしてきます。
考えてみれば、私たちが実体として感じている時間は、今という瞬間だけです。しかし、記憶としての過去と、期待としての未来も、その今のなかで感じています。とすれば、今日が最後の日であってもいいと考えて一日を生ききることのなかに永遠があるといえそうです。
出典には諸説あって確定できませんが、ふと思い起こす一文があります。
「もし、明日世界が終わるとしても、今日私はリンゴの木を植えるだろう」
(サンプル文全体 約1,073文字)
人生は一瞬と交差する永遠のなかに?
※見本は画面を閉じてください。

お読みいただきありがとうございます。
きっかけとなるエピソード
(筆記後期としてテキストを掲載します。直筆のサインを取り込んで表示させます。)
60〜80文字
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